本立寺・副住職に聞く、お坊さんの「悩みそのもの」

レッド

written by 五十嵐清美

妙建山 本立寺

朝、目が覚めた瞬間から、なんだか焦っている。
SNSを開けば誰かがまぶしくて、「成長しなきゃ」「置いていかれる」と胸がざわつく。——そんな現代の生きづらさを、本立寺の副住職・中島さんにぶつけてみた。返ってきたのは、ありがたい教えではなく、お坊さん自身の、あまりに人間らしい「悩みそのもの」だった。

引き算ができないんですよ。

五十嵐:突然なんですが、現代って、「何と戦っているのか分からない」ままにしんどさを抱えている気がして。目標を見つけなきゃと急かされるけれど、本当にやりたいことは見つかっていない。そこにSNSで他人のキラキラした生活が入ってきて、「自分もやらなきゃ」と焦ってしまう。

お坊さんって、そういう俗っぽい焦りとは無縁なのかなと思っていたんですが、中島さんも、焦ったりするんですか?

 

中島さん:

あ、それ、私もまったく同じなんですよ。基本がせっかちで、すぐに答えを求めてしまう。詰め込みすぎて、一定量を超えるとパンクするんです。

優先順位がバグるんですよね。全部が「優先」になっちゃう。要するに「引き算」ができない。足すことはあっても、引くことをしない。そもそも『引き算』というプログラムを、持っていないんです(笑)。

 

例えば瞑想をしてた時もそうでした。自分を整えようと思って、改めてその道の先生から習って、一年ほど毎朝続けた時期があります。お釈迦様が悟りを開いたと言われる、本場の瞑想です。

最初は新しいから面白いんですよ。朝日を浴びて、「あ、なんか整ってきてるんじゃない?」って。でも、だんだんその瞑想すらも「タスク化」してくるんです。ジムと同じで、いつの間にか「やらなきゃいけないもの」に変わってしまう。

 

「変わらなければいけない、やらなければいけない」に変わって、逆に苦しくなってしまいました。整えるために始めたことで、また自分を追い詰めている。本末転倒ですよね。

 

自分に、OKサインが出せないのでは?

五十嵐:どうして、そんなに「変わらなければ」と思ってしまうんでしょう?

 

中島さん:

基本的に、私もそうだけど自分にダメ出しが多い人間なんじゃないかなと。何かひとつ達成しても、「次はこれ、その次はこれ」と、無限に求めるものが出てきて終わりが見えない。

 

ジムのウエイトでもそう。最初は20〜30キロで満足していたのに、慣れてくると50〜60キロじゃないと満足できなくなる。刺激にどんどん慣れてしまって、自分に「OKサイン」を出せなくなる。「よくできている」と、認めてあげられないんです。だから私の中には、常に「今のままじゃダメだ」っていうアンチ勢が住んでいる感覚がある。(笑)

 

周りの期待に応えたい、期待された自分像を作りたいという欲が強いんでしょうね。それも相まって「現状の自分ではダメだ」という思いに、いつも引き戻されてしまう。

 

達成感はあっても、安心感はない。

五十嵐:副住職でも同じ人間なんだなと何だか親近感がわいてきました。そもそも、なぜ瞑想をしようと思ったんですか?

 

中島さん:

正直に言うと、「自分のOSを書き換えれば、安心感や、安全な場所にいる感覚を味わえるんじゃないか」と、自分自身の変化に賭けていた部分があります。

 

五十嵐:OSの書き換え。

 

中島さん:

はい。というのも、最近ふと振り返ったときに「あれ?最後いつ安心感味わった?」と。小学校まで遡らないとないかもしれません。「あーこれでもう大丈夫だ・・」とほっとする感覚というか。もう忘れてしまっているかもですね。そりゃトイレで「間に合ったー」とかはありますけれども(笑)

だから瞑想で自分を書き換えられたら、って。

 

でも、そこまで劇的には変わりませんでした。ただ、その苦しさをうろうろしていた中で、瞑想の先生に言われた言葉が、今でも一番大きな収穫になっていて。

 

「この世の中に、ダメな人間はいない。ただ、自分のことをダメだと思っている人はいる。それが現状なんだから、その現状をまずは正しく、客観的に認識しましょう」

 

って。これには、何も言い返せませんでした。

無理に自分を良く見せるんじゃなく、ただ、今の状態に気づく。それだけでいいんだ、と。

 

置いていかれるのが、こわい。

五十嵐:今の状態に気づく。

まずは認めて、今の自分を認識することからということですね。

とはいえ、今の自分の現在地が分からないってこと、ありませんか?

 

中島さん:

学生時代は「偏差値」という分かりやすい指標があって、自分がどの位置にいるか、簡単に計算できました。でも社会人になると、突然闇の中に放り出されたような状態なのに、周りからは常に比較を求められる。この現在地が分からなくなることが、私はとにかく怖い。

 

ポケモンで例えると、私は初代「赤」「緑」からのプレイヤーなんですけど、「圧倒的な余裕を持って勝ちたい」んです。手持ちが残り1匹でギリギリ勝つのは嫌で。瀕死のポケモンだらけの勝利は、もはや敗北に等しいとすら思ってしまう。HPが減って警告音が鳴ると、すぐ回復させたくなる。車のガソリンランプがついたら、すぐ給油したい。とにかく最悪の事態を、前倒しで避けたいんです。

 

五十嵐:その焦りが、瞑想やジムを「タスク」に変えてしまう。

 

中島さん:そうなんだと思います。しかも今って、SNSで他人の成功が勝手に入ってくるじゃないですか。この本立寺がある島津山は高級住宅街で、軽自動車よりベンツやアウディといった外車の方が多いくらい。見たくなくても格差の視覚情報が飛び込んできて、「自分はこのやり方で合ってるのか?」と揺さぶられる。私、就職氷河期世代の最後期なんです。レールに沿って積み上げてきたものが通用しない、って身をもって体験した世代なので、成長曲線が描けない時間が、本当に不安で耐えられないんですよね。

 

自分の立ち位置を見てみたかったから、一度は外の世界へ。

五十嵐:一度、お寺を離れて一般企業に就職されたんですよね。

 

中島さん:そうなんです。お寺の息子なんですけど、一般企業に就職しました。

綺麗事じゃなく、自分が広い世界でどこまで通用するのか、自分の立ち位置を見てみたかったからなんです。ゲームのGPSと同じで、自分の現在地を知りたいという欲求が、人一倍強くて。会社の中でも、「今、自分はどの位置にいるんだろう」って、常にマップを探しているような感覚でした。

 

五十嵐:大学も、仏教系ではなかったとか。

 

中島さん:キリスト教系の大学に行きました。でもそれは、実家への反抗心というよりは、「見たことのない世界を見てみたい」という欲求から。結局そこでも、現在地を確かめたかったんでしょうね。

 

五十嵐:最近は、お坊さんとしての振る舞いを変えているというお話も聞きました。

 

中島さん:

「お坊さんとしての鎧」が、ちょっと重いなと思い始めたんです。世間はお坊さんに「現代にいながらも仙人のような、良い意味で時が止まっていて、達観しているようなありがたい存在」を期待する。でも、応えようと頑張るほど、本人が苦しくなる。

 

だから、採用の募集ページに、「ごめん、無理。自分にはできないから助けて」ってストレートに書いてみたんです。そしたら、その正直さに共感した人たちからすごい反響があって。わざわざ電話で「面白い文章を書く人ですね」と連絡をくれる人まで現れました。お坊さんに関する本の原稿でも、あえて「お坊さんのダメダメな1日のスケジュール」ってタイトルで書いたんですよ。「朝4時起きでお経を読んで」じゃなくて、「朝6時のオンラインミーティングに寝坊した」っていうリアルなダメさ(笑)。

 

「お坊さんだけど、字が下手なんだ、ごめんね」って白状することにもしました。みんな綺麗だと思ってるけど、私、本当に下手で。でも、そうやって「自分は完璧なタイプじゃない」って小出しに開示し始めたら、自分自身がすごく楽になったんです。崇め奉られるんじゃなくて、「あいつらも、実は苦しくて上手くいってないんだな」って思ってもらえる距離感でいたい。一緒に悩みながら歩ける距離感で。

 

たぶん、この記事を読み終えても、あなたの焦りは消えない。引き算は相変わらずできないし、SNSを開けば今日も誰かがまぶしくて、「安心感」なんてものは、明日もきっと見つからない。

 

でも、それでいいんだと思う。お坊さんだって、瞑想をタスクにして、ポケモンで余裕勝ちにこだわって、ガソリンランプに焦って、字が下手なことを気にして、いまも右往左往しているのだから。安心感を、まだ知らないまま、それでも毎朝お経の上げ方を少しずつ変えて、なんとかやっているのだから。

 

答えなんて、たぶん、ない。「これをやれば大丈夫」なんて便利なものも、どこにもない。ただ、こうして誰かと、「わかんないよね」「こわいよね」「置いていかれるの、嫌だよね」と、とりとめもなく喋っているうちに、張り詰めていた糸が、ふっと、少しだけゆるむ。

 

それで、いいんじゃないか、と思う。焦っている自分を、ダメだと思っている自分を、無理に直そうとしなくても。現在地が分からないまま、迷子のまま、それぞれがそれぞれの場所で、右往左往しながら生きていく。たぶん、みんなそう。

 

安心感なんて、まだ知らなくていい。——だって、お坊さんだって、知らないんだから。

まあ、ぼちぼち、いきましょう。一緒に、迷いながら。

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